猫を起こさないように
日: <span>1999年1月18日</span>
日: 1999年1月18日

蘭学事始

 「(和綴じの本を片手に、うろうろと読み上げる)『十代前半の少女の身体を見るともうとたんにフルヘッヘンド』、『単三乾電池を直腸に挿入するとフルヘッヘンド』、『用例:二十年来の古女房に毎夜せまられますが、最近ちっともフルヘッヘンドしません』。ううむ、フルヘッヘンドとはいったい何のことなんだろうね、前野くん」
 「(アゴに手を当てて)とんとわかりませんな。こういうときは、例文どおりに実際やってみるのが一番かと思いますが」
 「実証的見地、ってヤツだな」
 「思い出しました。そういえば、私の家の裏手にいつも手鞠で遊んでいる女の子がいます」
 「(一瞬、チカリと両目を光らせて)その娘は、決して他の何者でもない実証的見地から確認するのだが、間違いなく十代前半なんだろうね。ここを間違っては、どうにもならんよ、前野くん」」
 「(前歯を見せつつもみ手して)もちろんでゲスよ、ダンナ。」
 「(小鼻をふくらませつつ、わざとゆっくり立ち上がりながら)よし、よし。それではさっそく参ろうか。我が国の学問の黎明は近いぞ」

 「(竹垣越しにのぞきこんで))ほら、あの娘です、杉田先生」
 「(竹垣越しにのぞきこんで)そうか。確かに十代前半のようであるな。ほれ、ざっとむしろに巻いて拉致してきてくれたまえ」
 「(自分を指さして)わ、私がですか?」
 「(眉を厳しく寄せながら)私は本当のところ、このようなことはまったく望んではいないのだがね。それもこれも、すべて学問の進歩のためだ。仕方の無いことなんだよ(左右に首を振る)」
 「許せよ、娘(こだまする絹を裂くような悲鳴)」

 「(薄暗い土蔵の中、床にくずおれてむせびなく幼女に向かって)……これ、いつまでも泣いておるのでない。そなたは偉大な学問の進歩に貢献したのだぞ。(腰帯をしめなおしながら、向き直って)先生、わかりましたか」
 「(腰掛けて、放心したようにキセルを吸い付けながら)いンや。(大きく伸びをして)なんだかやることやったら、とたんにめんどくさくなっちまったな。(肩をゴキゴキ鳴らして)もう明日にしようや」
 「私もです。(眉根を寄せて)この微妙な罪悪感を含んだ疲労感が、フルヘッヘンドの正体なんでしょうか。フルヘッヘンドとはつまり、背徳感のことを指すのでしょうか」
 「(あくびして)知らねえよ。あとのこと、よろしく」

 「(和綴じの本を寝転がって読みながら)しかし、この”乾電池”ってのは、いったいなんだろうね、前野くん」
 「(眉根を寄せて)”電”という言葉から察するに、エレキテルのことではないでしょうか」
 「(こめかみをひくつかせながら起きあがり)それは、もちろんおれも考えてたところだよ。先日長崎から届いた嗜好品の中にエレキテルを出す箱とかいうのがあったな、確か」
 「ええ。必要かと思いまして、ここに(背後から電極のついた木箱を取り出す)」
 「手際がいいね。(電極を両手に取る)それじゃさっそく尻を出したまえ、前野くん」
 「(自分を指さして)えっ。また私ですか」
 「(眉を厳しく寄せながら)私は本当のところ、このようなことはまったく望んではいないのだがね。それもこれも、すべて学問の進歩のためだ。仕方の無いことなんだよ(左右に首を振る)」
 「わかりました。そこまでおっしゃられるのなら、この不肖前野良沢めが(頬を赤らめながら、着物の前をはだける)」
 「うわ、汚ねえな。(鼻をつまんで)ちゃんと洗ってンのかよ。おい、ふんどし取らねえと挿入できないだろうが」
 「私としたことが、これは失礼つかまつった。(尻を突き出しつつ、赤らんだ頬を両手で押さえて)いや、しかしなんですな。どきどきしますな。言うなれば、そう、初心なたおやめの気持ちですな」
 「気味の悪ィこと言ってんじゃねえよ。そりゃ!(肛門に電極を突っ込む)」
 「あひィ(髪の毛を逆立て、骨を見せながら明滅する)」

 「(腰掛けてキセルを吸いつけながら)どうだい、前野くん」
 「(畳に爪を立てて上半身を起こそうとしながら)こ、腰が砕けて立てません。目もかすんできました。フルヘッヘンドとは、もしや腎虚のことではないでしょうか」
 「(あくびして)いや、今日はもういいや。おやすみ。(行きかけて振り返り)ちゃんと汚れた畳かえてといてくれな、明日までに」

 「どうしました、杉田さん」
 「(あぐらをかき、頬杖をついて)いや、な。最近女房とこう、なんだ、うまくいってねえのよ」
 「(気の抜けた表情で)はぁ。それはまた、なんと申しましょうか」
 「夜の生活のほうが、な。わかるだろ、女房のたるんだ裸を見てもいっこうに、こう、な」
 「(勢いこんで詰め寄り)杉田さん!」
 「(後ろ向きにひっくり返って)うわ、なんだよ。いきなり大声出しやがって」
 「フルヘッヘンドとは、もしや”勃起する”という意味なのではないでしょうか!」
 「(手を打ち)おお! しかし待てよ。(和綴じの本を引っぱり出して)ここに、『顔面の中央部にフルヘッヘンドするのが、鼻である』と書いてあるんだが、その解釈だとおかしくならねえか?」
 「(考え込んで)私は二三度オランダ人を見たことがありますが、その鼻はずいぶんと長くてごつごつしているのです。もしや彼らのあれは鼻ではなく生殖器なのではないでしょうか。だとすれば平仄があいませんか」
 「それだ! 今日は冴えてるじゃんかよ、おい(前野の背中をどやす)」
 と、いうような学問の黎明を経て、”鼻が大きい=生殖器が大きい”の俗説が生まれたということです。